中村航司とは

こちらでは縁TRANCEがなぜ生まれたのか、どんな経験をもとに今の価値観に繋がっているかの参考にしてもらえたらと思い、より具体的な自己紹介として、私、中村航司の生い立ちについて記載させていただきます。

・起業家アスリートとして目指していきたい背景
・縁TRANCEが生まれるに至った経緯

を感じとっていただけたら幸いです。
大枠のポイントとなる内容はこちらとなります。

<家庭関連>
・富山県小矢部市で誕生(1993年11月7日AB型)【ローカル事情への共感と課題意識】
・家業が古本屋【多様な情報収集の習慣と多様性の理解】
・7つ上、9つ上の兄の存在【負けず嫌いと努力】

<競技・社会関連>
・ホッケーをはじめる(小6)【人生を変えるきっかけ】
・インターハイ優勝、U18日本代表選出【成功体験と目標達成に向けた行動習慣】
・メンタルブレイクと読書生活(大学1年)【生涯勉強の決意】
・幼馴染の自殺【命の尊さと後悔】
・10種類以上の幹事経験【人と関わることへの興味関心の強さ】
・五輪の東京開催決定【ホッケーキャリア構築の決意】
・独立準備をはじめる(大学2年)【お金と社会の仕組み、重要性の理解と実践習慣】
・韓国への武者修行 (大学3年)【海外の可能性の理解】
・実業団チームへ入団【競技へのフルコミット】
・史上最高の下積み経験【競技力向上と業界の課題の理解】
・妻との約束【独立の決断と強き応援】
・起業準備とホッケーの両立【精神の崩壊と困難の理解】
・コロナとホッケー【新たな仲間との再出発】
・フィールドホッケー歴17年目【マイナー競技事情への共感と課題意識】
・海外挑戦に向けて【海外展開】

以下私の人生において影響のあった出来事について出来事について簡易的にまとめていきます。

〜誕生から幼少期〜

“富山県小矢部市で誕生”
【ローカル事情への共感と課題意識】

1993年11月7日(AB型)。私は、現在は、人口3万人程度の富山県小矢部市という自然豊かな地域で生まれ育ちました。

温かい町の人達に囲まれ、思ったことに積極的に挑戦する活発な少年に育ちました。

“家業が古本屋”
【多様な情報収集の習慣と多様性の理解】

家業がユニコーンという古書販売を行っております。
その影響もあり、日常から本に囲まれる日々を送っておりました。

本を通して、多様な情報を拾う機会や比較的早い段階で、ビジネス書や哲学書などに触れる機会もあり、競技に対してもまた少し違った視点で捉えるようになりました。

“7つ上、9つ上の兄の存在”
【負けず嫌いと努力】

私には、7つ上と9つ上の兄が存在します。
その影響もあり、喧嘩には勝ち目がなく、能力的にもそれだけの差があり基本的に勝負事では「負ける」ばかりの日々でした。

先に経験する兄達から学ぶきっかけを得たり
末っ子としていかに「世渡り」「努力」することを培うことができました。

“ゲーム、ネトゲ中毒”

中村家には、メガドライブ、セガサターンなど割とマニアックなゲーム機まで充実するほど、ゲームに没頭できる環境が揃っていました。

兄弟でよくゲームを通して勝負事をする機会が多かったです。
「スマブラ」や当時の王道※1と言われる「RPG」は大体クリアしてきたように思います。
※1=FF,ドラクエ,テイルズ,ロマサガなど

時間を忘れていかに兄弟に勝つかを考えてひたすら「没頭」したり、
RPGを通して「ヒーローのあり方/生き方」に対する憧れを抱くようになりました。

しまいには、オンラインゲームにも手を出してして、
100名(中学2年頃)近くの組織を統括するほど中毒になっていました。
一緒にやっているプレイヤーとのやり取りや繋がりがとても心地よく、コミュニティ作りの礎もこの頃に培われたように思います。

この頃に学業が疎かになり、「ゲームに対する抵抗感」を抱くようになり
ゲームの世界から足を洗うことになりました。

“祖父によるDV、いじめによる入院”
【弱者に対する共感と寄り添いたい想い】


祖父が大のお酒好きで、酒癖もあまり良くなく暴力的な側面もありました。

日常の中でも、暴力に見舞われることもあり、怯えて過ごすことも多かったです。

こうして考えるとゲームに逃げていたのかなとも思いますね^^;

また、小4頃にいじめに耐えかね、腸閉塞(イレウス)になり1ヶ月ほど入院した時期がありました。

家庭環境の影響や弱い立場であるとどうしても苦しい状況に追いやられることもあることを理解するようになりました。

攻撃的な行為に対して、抵抗感を強く感じるようになったり、どんな理不尽があっても前向きに捉えたり笑いに変えてあらゆる状況を力に変えようという意識が強化される機会になったと今となっては感じています。

当時はとても辛かったですが、その頃にゆっくり自分自身と向き合うことができて、「強い人間になる」「弱い人に優しくする」と決意した瞬間でもありました。

〜小中学時代〜

“ホッケーをはじめる”
【人生を変えるきっかけ】

いじめを経て自分が変わるきっかけとして何か探していたとき、当時一番モテていた男子がホッケーをしていたこと、次男が実はホッケーの経験者だということを知ったことから小学校6年の時にはじめました。

当時からホッケーは小矢部市のお家芸でもあり、ハードな練習の日々ではありましたが、楽しみながら人間的に大きく成長するきっかけを与えてくれました。

~高校時代〜

“インターハイ二連覇”
【成功体験と目標達成に向けた行動習慣】

ひたすらホッケーだけに明け暮れた時期。
先輩達の日本一に続き、自分達の力でも日本一を実現することができました。

どうやったら目標に近づけるか、努力すれば良い結果につながるとう自信を与えてくれる体験をすることができました。

U18日本代表選出
【初の海外経験】

U18日本代表に選出していただき、初めての国際試合を経験しました。
高いレベルの仲間と戦うことができたこと、海外のレベルを体感できたことからもっとホッケーで高みを目指したいと思わせてくれる貴重な経験でした。

〜大学時代〜

“メンタルブレイクと読書生活(大学1年)”
【生涯勉強の決意】

東京農業大学へスポーツ推薦で入学しました。
高校の実績から期待されて入部したのにも関わらず成績不振が続きました。
1年生としての仕事や上下関係の厳しさからも精神的に辛かった時期でもありました。

メンタルを見直すために近くのスタバと併設されているTSUTAYAに週4.5ペースで練習終わりから閉店(深夜3時)までメンタルの改善/強化のため読書に明け暮れました。

極端に孤独を選択するようになり、偏った取り組み方をし始めるようになりました。

この時期に立て続けに個人的にインパクトのある出来事が起こりました。

・親の宗教問題による別居、兄の離婚
・幼馴染の自殺
・2度の1ヶ月間外出禁止

以上の体験に加え、孤独と読書習慣があったことで自分をじっくり見つめ直す機会になりました。

この時期から、社会問題に目を向けるようになり、人生について考えるようになりました。
スポーツに対しても競技力だけでなく、興行やビジネスの側面についても考えるようになりました。

読書や付き合う人達もビジネス系へ幅を広げるようになりました。

“五輪の東京開催決定”
【ホッケーキャリア構築の決意】

2013年(当時大学2年生)に、オリンピックが東京で開催されることが決定しました。
自分の年齢的にも最も自分を夢中にさせてくれる目標だと感じ、オリンピックを志すようになりました。

卒業後のキャリアとしてもホッケーを続ける決意も固めました。
高い競技力を意識するようになっただけでなく、ホッケーで食べていくことが現実的には厳しいものがあるということを肌で感じていたので、五輪後のキャリアも意識するようになりり、起業を志すようにもなりました。

〜ビジネス時代〜

“複数の幹事経験”
【人と関わることへの興味関心の強さ】

ホッケーを通して、様々な方とのご縁をいただいていたことや企画することが好きだったので、
・中学の同窓会
・高校の同窓会
・ホッケー関東同期会
・関東富山県人会
・農大の学部幹事など

様々なコミュニティの幹事を経験させていただきました。
繋がるご縁から孤独ではあったものの応援していただいたり、様々な人や情報に触れる機会を得ることができました。

“ビジネスをはじめる”(大学2年)
【お金と社会の仕組み、重要性の理解と実践習慣】

学生時代の時間はほとんど練習や起業のための準備に時間をあてていました。

ネットワークビジネスからネットビジネス、投資、転売、動画、暗号通貨など怪しいと言われるビジネスを実際に見聞きして、サイドビジネスを経験する時間となりました。

結果として、私にとっては大したお金にはならず信頼を失うだけでした。

情報弱者が陥る末路を体感し、自分自身がお金のために働くことが性に合わないと感じ自分らしさを発揮できるビジネスをする必要があると思い、起業志向が固まった経験となりました。

“韓国への武者修行”
【海外の可能性の理解、在宅での収入体験】

大学の韓国出身のコーチよりご縁をいただき大学3年の時、韓国で何度も優勝を経験している金海市役所ホッケーチームに1ヶ月間ホッケー留学をしました。

海外のレベルの高さやプロで競技に取り組んでいる人達や環境に言語の垣根を越えて触れることができたことで、海外に挑戦することの可能性を体感する機会となりました。

“ホッケーを仕事に”

大学4年に日本最大のホッケーメディアのMYHOCKEYがバイトの募集をしていたので、応募しました。

幸い採用が決まり、ホッケーに関する仕事やビジネス経験豊富な代表と間近で仕事をすることを経験することができました。

ホッケーを仕事にすることの魅力や可能性に気づかせていただき、自分としても仕事にしたいと確信する貴重な経験となりました。

“実業団時代”

 “実業団チームへ入団”
【競技へのフルコミット】

卒業後、日本で唯一の実業団チームに入団

常勝チームとも言われる結果だけが求められる環境下で、人生で最も競技に取り組ませていただきました。

・ホッケーでお金をいただくという責任
・激しい競争環境でポジションを獲得する厳しさ
・たくさんの方のおかげで、競技に専念できるということ

を実感するかけがえのない経験となりました。

“史上最高の下積み経験”
【競技力向上と業界の課題の理解】


4年間ほとんど新しい選手が入団しない時期が続き、チームの競争環境がほとんど変わらない中で、どんなに頑張っても結果が実らない時期が続きました。

大学時代と同様、孤独を選択し競技力の向上のため試行錯誤を重ねましたが、なかなか変えることのできない状況の中で、毎日悔しい思いをしながら競技に取り組んでいました。

いつしか環境や業界の構造までも憎むようになり、泣きながら過ごす日もあるほど心が不安定になりながら競技に取り組んでいました。

閉鎖的な競技環境のあり方や業界の発展に対する課題について深く考える機会にもなりました。

“起業準備とホッケーの両立の厳しさ”
【精神の崩壊と困難の理解】

学生時代から起業とアスリートの両立をはかろうとし続けてきました。

・ビジネススキルを培う難しさ
・革新的なことに挑戦するということ

・周りから理解されない状況
・孤独と向き合うこと

・限られた時間内での競技とビジネスの両立

実業団の環境下でも諦めずに困難にぶつかり続けながら両立に挑戦し続けました。

心が不安定になることもありましたが、その経験もひっくるめアスリートにとってより良い環境をためには本当にたくさんの可能性と課題があることを実感しました。

“妻との約束”
【独立の決断と強き応援】

私には、実業団時代からいつも側で現在の妻が支えてくれていました。
当時の本当に苦しい状況でもいつも応援してくれていました。

2018年、東京五輪の出場の夢も破れ、現在の環境でも未来が見えず
路頭に迷っていました。

これまでお世話になったたくさんの方に相談を重ね妻にも仕事を退職すること、愛知から東京に拠点を移すため妻にもこれからの生活や仕事のこと、どんな思いで二人で過ごしていきたいか、独立の決意を伝えました。

2018年の段階で、自分の経済力で独立の準備状況では現実的でないということが明確になったので、もう1年実業団チームにて競技を決意。

私にとってこの時1年は非常に大きく、どんなに辛くても頑張れる自信を手に入れ、未来永劫、自分のちっぽけさを受け入れ目の前のことに凡事徹底に取り組もうと体に叩き込んだ期間となりました。

〜独立後〜

“コロナとホッケー”
【新たな仲間との再出発】

1年間の準備を経て、2020年に独立
愛知から東京へ拠点を移し、心機一転で新しい取り組みを展開しようと志した矢先、新型コロナウイルスが到来

スポーツ業界の発展やアスリートの存続を目指すためにオンラインでの情報共有ができる場が必要と考え、ホッケーの垣根を越えてこれまでお世話になった方々にお願いして、縁TRANCEの活動をスタートしました。

以降の縁TRANCEの活動詳細については、こちらの縁TRANCE誕生の背景をご覧ください。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLg1Ui07xzpw--MAjG4lHWA8xAEDrQO-n7

“アスリートとしての夢へ再挑戦”
【マイナー競技事情への共感と課題意識】

以上のような流れでこれまでフィールドホッケーに関わってから17年間。様々な経験をさせていただきました。

特にマイナー競技に関して競技者としても普及を考える立場としても、たくさんの可能性や課題と言える体験を身を持って経験してきました。

想いや理屈だけではどうにもならない、変えたくても変えられない事情や構造があるということを目の当たりにしてきました。

そして、起業を志続けてきました。

そんな私だからこそ、スポーツの可能性を最大限発揮できて、課題解決ができる環境を作りたいと想い縁TRANCEをはじめました

“海外挑戦に向けて”
【海外展開】

次は2022年3月にドイツに挑戦します。

まだチームは決まってませんが、EHLという世界最大リーグ出場を目指します。

そのために現在の縁TRANCEの基盤を構築し、競技と両立できる状態を作り、縁TRANCEのグローバル展開を目指します。

私の競技人生の挑戦と失敗の数々とこれまで応援してくれた方々の想いが具現化したのが縁TRANCEだと感じています。

私の競技者としての夢が縁TRANCEの発展に繋がり、縁TRANCEの発展が私の夢の実現に繋がることを目指し今日も地道にできることに邁進しております。

最後までご覧いただきありがとうございました!